NOHC理事・北原奉昭「故郷・伊那の大自然を駆け回った少年時代」2(自然豊かな生活環境、炭ゾリ、サンショウウオ、自然の恵み、食文化)

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NOHC理事・北原奉昭インタビュー(2020年11月12日収録)
昭和二十年生まれ。長野県伊那市出身。元中野区議、古書店主。沼袋親和会会長。

◆Part2

Q 当時のご家族構成は?

父親と母親と長男、長女。で、私。あと妹がおりましたね。四人兄弟で、上から三番目が私です。家庭の中だと長男長女とか女の子は大事にされるんですけれども、多分すごくほったらかしにされて育った記憶がありまして、それだけ自由だったな、と。今考えてみると、すごく良かったというふうに思ってますね。

Q 自由でよかった部分というのは具体的にはどんなことで?

勉強もそこそこはしたと思うんですけれど、遊びもそうですし、特に(自分が)ガキ大将で野原とか山を駆け巡って遊びましたから。遊びのスケールも自然と一体となった遊びでしたから、今の僕の田舎の人達の想像を超えたような遊びをしていたと思いますね。

Q 周辺の地形的にはどんな感じでしたか?

ちょうど今で言うと里山みたいなものですよ。原風景が残っておりまして、農村と山村がちょうどミックスしたような場所ですよね。畑と山が連なっていると。平らな所はあまりなくて、田んぼはほとんど段々田んぼみたいなものですよね。だからうちから歩いて五分くらいでキノコが採れる、それから山菜が採れるというところでしたから、もう完全に山村と農村が一緒になってる。
川もものすごく綺麗でしたし、ホタルはもちろんいるし、ヤマメは手でつかむ。ヤマメとかカジカは100%手でつかみましたから。捕れる数も想像を超えるぐらい捕れたと思いますよ。お昼休みに兄貴と二人で出かけると十匹は捕れましたからね、一時間ぐらいで。今でも清流ですからヤマメは泳いでいるのが上から見えるぐらいおりますよ。

Q それは食べるため捕った?

食べるために。

Q 食生活、食文化自体は豊かだった?

食生活は決してね、要するにお店がないとこですよね。今ですと、一番繁華街は伊那市なんですけれど、伊那市までおよそ8kmありますからね。農協もなくなりましてね。買い物に行くにはだいたい8kmぐらい行かないといけない。去年、おととしぐらいからバスの便がなくなりましたね。その前までは一週間に二回来たんですけれども、二年くらい前からバスは来なくなりましたんで、高齢者とかは暮らしは大変だと思いますね。農協がないということで。若い人たちは車で通勤もされてますので、そちらのその世代はまだまだ大丈夫だと思いますね。

Q 冬は相当雪が積もるんですか?

今は少なくなったと思いますけれども、私たちの子どもの頃はそこそこ降りましたね。

それで学校から家までの距離がおよそ1200mぐらいなんですね。そこは比較的平らなんです。ところがうちの所から上の方の集落に行く道路は結構な傾斜があります。まぁすごい傾斜ではないんですけれども、ちょうどソリを滑るにはちょうどいい傾斜なんですね。(距離にして)1500mぐらいの上の方の集落の子ども達が朝、通学の時に上からソリに乗って…。うちのところまでがちょうど坂になってますから滑ってきましたよ。で、中学生が運転をする。

当時、炭焼きがすごく盛んでしたから、「炭ゾリ」っていうのあるんですよね。炭ゾリって、炭の俵を一回に五俵とか六俵とか載せられるような長いソリがあるわけですよ。その炭ゾリに、炭俵の代わりに子どもたちが六、七人乗って、上の方から滑ってくるんですよ。それを見るのがなんか羨ましくってね。あれ乗ってみたいなと思いました。

で、よくしたもんでね、中学生が運転して小学生を乗せてくるんですけども、(学校の)帰りはその小学生が引っ張って帰ってくるんですよね。で、また翌日、ソリに乗ってくる。そういう時代でしたね。

Q じゃソリは?

うちのところにそのまま置いてありましたね。当時ものすごく炭焼きが盛んでしたからね。昭和二十年代ですよね。ほとんどの家が炭を焼いてたと思うんですけどね。もちろん今はそういうことは全然ないわけですが、うちから1500mくらい上がったところは標高がたぶん900mとかいきますんで、当時、サンショウウオなんかいっぱいましたよ。アズマサンショウウオってたぶん言うんだろうと思いますが、石をのけると五匹ぐらい入ってましたね、一つの石に。本当に驚くような自然がありましたよ。今は温暖化でそのサンショウウオもどこかに消えてしまったようですね。

Q そのサンショウウオはどうするんですか?

普通は黒焼きとか炒ったりするんですけど、まぁ食べるっていうことはそんなにはなかったですね。ただ子どもですから「生で飲める」て言うんで、そんな遊びを。生きたまま飲んだりしたの、いましたからね。なかなかワイルドでね。凄かったですね。

Q あとキジを捕ってる人も多かったとか。

ありますね。ヤマドリとキジはたくさんいましたし、キツネ、ヤマウサギなんかいっぱいましたよね。イノシシとかクマも出てきましたから。子どもの頃ですね。今また復活して出てくるようですけど、里の方に。

猟師がいてキジを撃ったりヤマドリを撃ったりして、うちの庭におっこってくるというようなことも結構ありましてね。「せっかくおって(落ちて)きたから隠しとこ」なんつったら、それが突然泣き出してね。それでバレてしまったとかね。
あと山菜、山ぶどう、そういうのはすごかったですよ。とにかく子ども達がしょいカゴ持って、竹のカゴ持って山に入ると、ほぼいっぱいに採れるというぐらいに山ブドウなんかもありましたね。どこ行っても自然の恵みは豊富で、それを採って遊んだりね。採って食べて遊ぶというのがごく普通のように行われてましたね。

Q 海はないけど山の恵み、川の恵みが豊富だったわけですね。

そうですね。今はもうスーパーだとか輸送とかも発達しましたし、冷蔵とか冷凍技術もあるんですけど、僕らの子どもの頃はありませんでしたから、長野はだいたい長野しかない塩がらみのものが多かったですね。イカなんかも塩漬けとかね。生で食べることってほとんどなくて、だいたい塩辛くて塩抜きをして食べる。海のものはね。そういう時代でしたね。
刺身なんて一年に一回、食べられなかったと思いますよ、たぶん。うちの田舎だとどの家庭もそうだと思いますね。

Q 川魚は?

川魚は食べるんだけどね。そんなに好んでたくさん捕って食べるというのは…。大きな川じゃないんですよね。小さな川なんで、煮つけにしてたくさん食べるというようなほどはないんですよね。

Q 腐らないように塩したものが山に……。

来ると。今でも長野県の伊那あたりのスーパーに行くと、「塩イカ」というのが売ってましたね。これもう、ほんとに塩漬けしたイカですよ。で、塩抜きをして食べると美味しいですよ、やっぱり。懐かしい味ですよね。で、行くと必ず長野のお土産に買ってきます。

それと伊那のあたりは昔から馬がたくさんいたところで、特に私の子どもの頃は農作業の労力っていうんですかね。その一部を担っていたのが馬か牛でしたから。特にちっちゃい頃は馬の方が多くて、そのあと牛に変わるんですけれど、そのあとすぐ耕運機が出ましたから。馬の時代があったわけですが、農耕用に使う馬と、あと木材が盛んでしたから、林業が。山の上で切り出した材木をトラックの着くところまで、「土場(ドバ)」って言うんだけど、そこまで材木を運ぶ手段として馬を必要としまして、その馬が山ん中をね、大きな太い材木で引っ張ってくるんですよね。そういうことに馬を使いましたから。

馬もずっと働き続けるわけではありませんから、事故や寿命で亡くなったりすると馬刺しに食べちゃうってんで、伊那の辺はすごい馬の肉、子どもの頃、肉って言うと馬肉を指しましたからね。当然、刺身は馬の刺身でしたね。ですから今でも伊那のあたりは、馬の内臓の料理「おたぐり」って言うんですけれども、モツですよね。おたぐりってものすごいおいしいですけど、おたぐりとか馬刺しはいっぱいありますし、すき焼きも馬の肉のすき焼きっていうのが今でも食べられています。

…Part3に続く

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源資NOHC 代表

投稿者プロフィール

源 資(みなもとやすし)
昭和42年(1967年)富山市生まれ。県立富山高校、明治大学卒業。ゼネコン退社後、成り行きで映像制作の世界に入りそのまま制作ディレクターとなる。2018年度より中央区における地域オーラルヒストリー記録プロジェクト「佃島・月島百景」に参画。ポケット・クリエイション代表。中野区野方在住。

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