NOHC理事・北原奉昭「故郷・伊那の大自然を駆け回った少年時代」3・・・蜂追い、自然から学ぶ

Part3

「蜂追い」

食生活、食文化っていうことで捉えると、長野県は長寿の県ですけれど、虫を食べますよね。蜂の子はもう高級食材ですし、天竜川からとれるザザ虫というね、石をのけると天竜川の下にいる虫を食べる。あとは、イナゴは当たり前でしょうし、まゆのサナギ。これ今でも売ってますけどね。これもけっこう食べましたね。

Q ご自分たちで獲りに行く?

もちろん獲りに行きます。だから、「蜂追い」はもう小学生の頃から。真綿を蜂につかまえさせて、真綿で風の抵抗を受けながら、しかも白いですから、真綿がね。綿をつけて、それが目安になって追っかけて行って、それが巣の中に入るわけですよね。その真綿の先に肉がくっついてますから。カエルの肉か刺身…。最近はマグロの肉とかいろんなのあるんでしょうけども、当時、僕らはそんなマグロなんか食べる余裕ないですから、田んぼに行ってトノサマガエルとかアカガエルを捕まえて、それを山の中に立てておくとその肉の匂いに誘われて。

その当時「スガレ(スガリ)」って言うんですけれど「ジバチ」ですね。「クロスズメバチ」っていうの正解なんだけど、そのクロスズメバチが匂いをたどってやって来るわけですよ。
一回目は肉をとって巣に持ち帰ります。巣はこんなに大きな巣ですからね。この巣に戻ります。そうするとカエルがそこにいるのを知ってますから、同じようにまた戻ってきますね。戻ってきて、二回目また肉を取り始めます。その時に、肉を取り始めた時に、もう一つ疑似餌を作るわけですね。その先にカエルの肉を置いて、それで真綿を少しよって丸印を作って、肉を挟むわけですよ。それを蜂のお腹の方からこうやる。必ずこういうふうにくわえますからね。前の足で。そんとき後ろの方から肉の付いた真綿を抱えさせるんです。そっと(そうすると)自分が取っていた肉と勘違いをしてしっかりと抱いて巣の方に向かって飛び立ちます。真綿がちょうど程よい抵抗になりますから、速度がふつう蜂が飛ぶ速度の三分の一以下に減速します。ですからその白い真綿を目安に子どもたちが追っかけるわけですよね。それ「蜂追い」って言うんです。

蜂追いをして行くと、その飛んだ蜂が、やがて巣の手前の五メートルぐらいに来ると上から下に急降下するんです。それで巣の中にスーッと入る。行くとおよそその下に下りてから5m以内に巣がある。だいたい蜂の入り口…、蜂の巣も土の中に作りますから、蜂の巣の入口のところで真綿を切るんですよ。真綿があると蜂の巣の中に入れないから、そこで真綿を切って肉だけ抱えて中に入る。切り落とした真綿があると何回戻ってきたっていうのがわかるんですが、それで蜂の巣を確定して。

夜になって全部の蜂が中に入ってしまった時に、巣をとりに行く。それで当時は硫黄とね、硝石(しょうせき)を混ぜて火をつけると、シュルシュルシュルと煙が出てね。みんな蜂が酔って寝ちゃうんですよね。千匹とか五百匹とかいる蜂がすべて寝てしまうんですよ。だいたい十五分くらい寝てますから、その時に巣をとっちゃう。そういうことなんですよね。それが長野県ではほとんど、山の方の人たちはやったんじゃないでしょうかね。

Q 巣の中に蜂がいるわけですよね?

蜂がいます。で、蜂の子を食べるんですよね。だからその中に成虫もいますよね。成虫が目を覚ますと刺しますよね。だから成虫はその巣の中に戻します。巣をとったあとの穴の中に成虫は戻します。で、巣を作っている材料があるわけですよね。木の皮かなんかでうまくこう作るわけなんだけど、その巣のガワタって言うんだけど、外郭部分を巣の中に戻して、中にいる幼虫だけ、あの六角形の巣を、あれが五段とか八段とかあるんですよ。それだけをとり出して、あと全部戻します。女王蜂も戻します。そうすると、巣だけとって幼虫だけを持ち帰るんですが、その翌日になるともうそっから働き蜂が活動を始めまして二番目の巣を作りますよ。これを「二番巣」って言うんです。一番巣も大きくていいんですけど、二番巣もどんどんどんほっとくと大きくなって…。

実は、11月になるとすごく寒くなってきて、蜂が越冬準備になるんですね。そうすっと中にいる、今までは働き蜂が多かった幼虫が、ぜんぶ女王蜂に変わるんです、巣の中が。なぜか女王蜂の幼虫になって、その女王蜂が飛びたって巣が終わるんですよ。それで女王蜂は飛び立って、オスが木の皮の中に入り込んで越冬して、翌年の春先、活動を開始して、自分が巣を作って、子どもを産んで。そういうことなんだね。すごい、おもしろいね…。

映画『こむぎいろの天使 すがれ追い』

うちの方の市町村が合同で作った『こむぎいろの天使 すがれ追い』っていう映画があるんですが、これがまさに蜂追いのことを、小麦色っていうのは蜂のことなんだけど、その話を映画化したのありましてね。市町村がお金を出して。

これもオーラルヒストリーに関係あると思うんだけれど、自治体そのものがずーっと行われてきた遊びというのか、「蜂追い」という文化をやっぱり残していきたいという思いがあって、市町村がお金を出して映画化をしたと思うんですよね。東京でも公開されました。一部の映画館で公開されましたけれど、結局、それを残そうという自治体に強い意志があって、しかもそれに住民の方が賛同して、この映画ができた。たぶん六つか七つの市町村がお金を出してできましたね。だから文化とかそういうものを残していくには、やっぱり自治体のサポートも僕は必要だと思うし、そこに住んでいる人たちの昔に対する思いとかね、歴史を残そう、遊びを残そう、文化を残そうとかっていう思いが必要になってくる。それが三十年、五十年先になって始めて皆さんお気づきになって「こうやってもらって、記録に残っててよかったなぁ」というね。そこにつながるのかなと。そう思ってますけどね。

Q 何歳ぐらいの子が、誰から教わって蜂追いをしているのですか?

最初に教わったのは(七歳上の)兄貴からですよね。兄貴は誰に教わったのかよく知らないんだけど、兄貴が「蜂をとりに行こう」っていうふうに言いまして、僕を連れて行きますから最初二人だけですよ。二人で行って兄貴のやるところを見ながら、見よう見まねで。

蜂の巣をとってくると遊んでいても、おふくろが文句を言わないんだよね。マツタケを採ってきた時も文句は言わない。山ブドウを山ほど採ってきても「お前、遊んでて何やってたんだ」なんてそんなこと言わない。もう喜んじゃってね。「マツタケ採ってきた?」「よくやった」というようなものでしたから。自分たちは勉強なんかするのは嫌だし、畑に行って草取りするのもあまり好きじゃないわけだから、遊びに行って蜂の巣とってきたりね、マツタケ採ってきた方がはるかに楽しいわけですよね。その手法は兄貴から教わる。

そのあとは子どもたち同士で、子どもたちが三人とか五人で「蜂追い、行こう」って。子どもたちも頭がそこそこありますからね。時間を計りますよね。当時、時計とかはないんだけれども勘で5分以内に戻ったとか、3分以内に戻ったとか、15分かかったとかによって、蜂の巣の距離ほぼ頭を中に入れるんですよ。「これは相当遠いな」とか「近いな」っていうのがそれでわかるわけですよ。近いと追う距離が少ないですからすぐ見つかる。仮に遠い所であったりすると、田んぼの土手を越えたりしますから。そうしますと見失うことが多いわけですよね。一回見失うと、見失った所に次の子どもが行ってるんです。で、さらにそこで追っかけて見失う所があれば、そこにもう一人の子どもが行くんです。で、こちらの方で蜂が餌をとって舞い上がりますよね。「行ったぞー!!」って言うわけですよ。そすと必ずそのコースを通りますから、それこそ三分後ぐらいに二番目の見張ってる所の上を通過するわけですよね。それがまた次の所にやって、最後は巣が見つかる。これがまた面白いし、みんなで追っかけくのもいいし、田んぼを越えたりするような所だとなかなか追えませんから、見張りを立てて追っかけてとる、と。これも凄いですよ。

Q じゃ二人でやる時もあればグループで連携してやることもある?

そう。慣れてくるとね、うちの兄貴はもう、去年、おととし七十九歳で亡くなりましたけど、最後の方は方向だけで分かっちゃうんですよ。要するに、西日を浴びて、蜂が飛んでくんですよね。キラキラ光りながら。その向だけで蜂の巣のある位置がわかってしまう。見てるとわかるんですよ、直線で飛んで行きますから。そうなるともう大ベテラン。上手でしたよ。

Q 西日の中を蜂がキラキラ飛んでくる光景がパッと浮かびました。

すごいですよね。もう何て言うか、素晴らしい世界があったんですよね。僕が最後に蜂つりをしたのが、田舎にたまたま帰った時に兄貴に言われて、お盆だったもんで旧盆ですよね、お盆に帰った時に「おい、蜂つりしねぇか?」なんて言われてね。「やってみようか」つってね。それでやりましたよ。

Q 何歳ぐらいの時ですか?

もう五十代後半ぐらいでしょうかね。つかまえましたよ、ちゃんと。昔と同じ真綿をつけて飛ばして、昔風の蜂追いをやってつかまえましたね。

太田清人さん「すがり追いの魅力 醍醐味」クロスズメバチやその巣の写真が掲載されています(こちらをクリック)

自然から学ぶ

あの大きなスズメバチ、本当のスズメバチはやっぱ怖いですから。それに攻撃的ですよね。ところがクロスズメバチは、決して攻撃的ではないんですよ。中から来た蜂のみが刺す。これ、子どもたちがみんな学んでますよ。要するに巣をとろうとして、硫黄とか煙幕で蜂が酔っ払って寝ちゃうわけですよね。もちろん毒ではなくて、その刺激臭で寝ちゃうわけですよね。で、寝てる間に巣を取るわけですよね。

仮に煙幕とか硫黄とかを使わないで巣をとろうとすると、これがとんだことが起きるんですよ。子どもの頃、小学生五、六人で挑戦したんですよね。そん時、道具を何も持ってなかったわけですよ。花火がいいわけですけど何にもない。だけど巣を見つけたわけ。で、誰かにとられちゃうから、「今日、ここでとっちゃおう」ってことになりましてね。小学校四、五年生だったと思いますよ。で、掘り出したわけですよ。そしたら、外からいっぱい、まだ昼間ですから蜂が戻ってくるわけですよ、巣に。その蜂は刺さない。けっして刺さない。蜂がいっぱいいるんですよ、何十匹って。で、子ども達の周りを舞ってるんだけど刺さないんですよ。ところが巣の中から出てきた蜂は刺す。巣が攻撃されてると思うわけですよ。

「地蜂(じばち)」っていうくらいですから、とにかく土にはめっぽう強い。で、中から出てくるから、土で穴を蓋をするわけですよね。すぐ出てきちゃう。土を砕いてね、中から出て来ちゃう。次から次へと出てくるんですよ。これは殺さない限り刺しますから。みんな刺されましたよ。そん時、五人くらいいたと思いますけど。全員、三ヶ所ぐらい刺されましてね。それで翌日学校行って、先生に怒られましたね。「お前ら何やってきたんだ?」。みんな顔刺されてますからね。腫れちゃいましてね。

Q 北原さんもその場に?

いました。「アンモニアで治るよ」なんて言っておしっこしたの覚えてますね。でもそれはぜんぜん嘘らしいんだけどね。そのぐらいの話でしたよ。

Q 危険だというよりも、とって食べるという欲求の方が勝った?

勝った。「どうなるか?」っていうのもあったね。要するにいつも花火を使ってとってるから簡単にとるわけですよね。しかも夜で鉢が中に全部入ってるわけですよ。ところがその日は午後で蜂がいっぱい出入りをしてる時に、しかも花火なしで、素掘りって言うんですけどね、素掘りをやったわけですから。そりゃあね、素掘りがいかにできないかってことを学びましたね。

Q 素掘り名人というのもいるんですか?

いや、素掘り名人はいなかったね。見つける名人はいましたけどね。蜂をとにかく見つける名人はいた。特に、みんなで、二人とか三人が同じ巣を見つけることもあるわけですよ。で、夜、掘りに行こうとしたら先に誰かが掘っちゃったとかね。そういうことも結構あるわけですよ。そのために、七月とか八月は巣がまだ小さいですよね。小さい巣をあらかじめとってきちゃうんですよ。巣ごとそっくり。夜。それで家の前に穴を掘ってそこに巣を移しちゃう。「巣の転居」ですよね。家の庭に巣は誰もとれませんから。それは結構やりましたよ。そすと誰も取らないで秋まで大きくなる。うちの兄貴も好きだったから、家の庭に五つぐらいの巣があったことがありますよ。

Q 養殖じゃないけど育てて…。

養殖ですよ、本当に。養殖。人にとられないから。

Q 人に知られたら「北原さんちにたくさん巣があるぞ~」。

あぁ、そういうことはなかったですね。

人生最大の蜂の巣!中山くんとの想い出

今でも忘れられないのはね、僕のものすごく親しい小学校時代からの友達で中山君っていうのがいるんだけど。うちの所よりもまだ歩いて1kmちょっと上に住んでる子がいまして、その中山君というのは蜂とりもうまかったんですよね。
で、十月だと思いますね。僕が遊びに行って、二人で「蜂をとりに行こうじゃないか」ということになりまして、彼と二人で山に入りまして、その時にものすごい、僕の歴史の中で一番大きな巣をとったんですよ。

夕方だったんですよね。大きな巣を見つけて。入り口が全然違うんです、大きさが。入り口の穴によってその巣の大きさが分かるんですよ。大きな穴だとものすごい蜂が出入りしてるんですよ。その時にものすごい蜂の量だったんですよね。
それでその中山っていうのが、最初、昔は花火がない時代はセルロイドを使ったんですよ。昔、筆箱とかに使っていたセルロイドっていうのがあってね、セルロイドに火をつけると勢いよく燃えるんですよ。で、その煙を中に吹き込んでいって眠らせてしまう。そのあと花火の方がいいってことになって、硝石とか硫黄とか花火を使ってやるようになったんだけど、彼はたまたま研究熱心だったのか、ゴムを使ったんですね。長靴のゴム。ゴムを切り裂いたのを持ってきて「これで試してみようじゃないか」って彼が言うわけですよ。だから俺は、彼の方が専門家だからね、「ゴムでもいいや」と思ったんだよ。でもゴムって勢いよく燃えないんですよ。ぜんぜん燃えなくて蜂だらけになっちゃってね。「中山君、ゴムはやめたほうがいい」って俺が言いましてね。それで結局ゴムは諦めたんです。そうしたあと、しばらく経って蜂がおさまった時に、煙幕を使ってとったんですよ。そうしたら本当に大きな、十二段ぐらいありまして。ふつう十二段なんてないから。

Q 十二段?

巣の中に段があるんですよ。十二段ってもう最大規模だから。八段とかでも多いんですよ。ふつう五段とかですからね。それが倍以上の大きさですよ。で、十月だからほぼ目いっぱい入ってますよ、蜂が。ちょうどピーク時ですよね。それをとりましたね。


で、山を下ってきて、彼の家の蔵の庇の下でゴザを広げて、その蜂の巣を出した。そしたら十二段あってすごかった。そして「二人で分けよう」ってことになった。巣をね。そしたら彼が、大きい方を僕にくれたんだよね。今でも忘れないですよね。「ともちゃん、この大きい方を持ってっていい」って彼が言ってくれて、嬉しかったですね。いまだに忘れませんね。二つに分けたんだけど多い方を僕にくれましたよね。小学生ですよ。そんな配慮した子がね…。いやぁ今でもほんと懐かしいですよね。

Q 巣の大きさはどれぐらい?

直径で言うと30cmはある。

Q それが最大級?

最大級だね。それで上はもっとある、45cmとか。中山君、まだ生きてますから、今度田舎に帰ったらその話をしに彼の家に寄ろうと思ってますよね。

Q おうちに持って帰ったら褒められる。

褒められる。

Q で、自慢して。

自慢して。「こんな大きな蜂の巣があるのか」っていうぐらい大きかったね。あとニホンミツバチなんかもとりましたからね。うちの方は多いですからね。でも、その蜂追いはやっぱり子どもたちにとって最大の遊びですよ。

Q 何歳くらいまでやるんですか?

蜂追いは中学生になってもやりましたけどね。でも高校生になるとさすがにね。兄貴が好きでしたからね。兄貴が「俺行って巣を発見したから巣をほじりに行こう」とか、それはありましたね。

Q お兄さんがワイルドなことが好きで…?

好きだった。自然が好きでしたよね。勉強するよりも自然が好きで。キノコ採りも名人でした。

Q 今の人たちはそういうことはやっているんですか? 山奥の人ならやってるかもしれないという感じですか?

甥っ子が伊那の会社に勤めた時に聞きましたけどね。やっぱりほとんどやってないそうですよ。やり方もわからないって言ってました。川に入ってヤマメをとることすらしてなかったですよ。

Q ヤマメは川にいたけれども……?

いたけれども、関心もないみたいでしたね。それどころじゃないんでしょうかね。やっぱり勉強しなきゃいけないとかっていう時代になってるのかもしれませんね。

中野とゆかりのある農山村との連携を

Q 遊びと言えば遊びですが食文化ですし、自然との共生でしょうし、そういうものを今後残していく必要性は感じますか?

僕は感じているんですよね。それで、特に食文化の中で、昆虫、蜂、ザザムシ、イナゴとかを食べているのと長寿の関係、長野県の長寿の関係っていうのを研究されてる方もおられるみたいですよね。そういうこともそうですし、健康食品としてそういうものが見直される。例えば、山菜にしても東京ではほとんど見かけない山菜を食べている地域ですから、それが科学的にどういうものなのかっていうことすら研究もされてないようですけれど、僕、必ずね、何かあるんじゃないかなと思ってまして。

養命酒の駒ヶ根工場っていうのが伊那の駒ヶ根市にありますよね。あれも歴史のある会社ですし、養命酒という健康酒を発売してから歴史のあるところなんだけど、あそこは薬草メインですよね。誰でも知ってるような薬草とか珍しい薬草を含めて養命酒を作ってるんですけど、もっと一般的に食べられている山菜ってすごい数なんですよね。そういうところも注目していきたいと思うし、今後、昔から継承されてきた食文化、あるいは食材に対して、今、私たちが残していかなければならないものは必ずある、と。

先ほど言ったように僕の甥っ子みたいに、もうまったくそこから離れてしまって、ほとんど関心もないし、残そうとするそんな意思もない人たちの時代になりましたから、我々が生きてる間にその食文化とか食材の効能なんかについても、しっかり記録として残す必要があって、それが今後生かされるだろうというふうに思ってますね。

Q 子どもたちの知恵、連携プレー、友情といったことや、うまくいったりいかなかったり、蜂に刺されたりといった子どもの頃の経験が、今のお話からとても豊かなものだったなと感じますね。

自然の中で学ぶっていうことが多いと思うんだよね。だから都会と山村とか農山村を繋いでいくっていうかね。そういう取り組みっていうのが今後すごく大事になってくると思いますよね。

特に僕は、中野区は長野県と非常にゆかりがあると、二十三区の中で特に中野は感じてまして。
その一点は、まず疎開先として、学童疎開でかなり人数が長野県の伊那地域に疎開をされてまして。たぶん少年時代を長野県の伊那地域で過ごした人は今でも中野にたくさんおられるんですよね。そういう人たちの話も聞いてみたい。
それからもう一つ、我々の世代で中野区に関わるということになると、中野区に「信濃寮」という、打越町に、中野駅の北口から歩いてすぐの所に信濃寮という寮があってね。その信濃寮は長野県の農村の子どもさんたち東京に出てきて大学に通うのに、親戚とか知り合いがいないんで、そこに長野県出身者の寮を県が建てて、そこから東京の各大学に通って行くという、規模的にも大きな寮がありまして。これはもう移転していますけれど、当時はこの信濃寮で寮祭なんかも行いまして。秋になると信濃寮の寮生が打越町あたりから、今で言うサンモール付近まで仮装行列をした、と。「あの信濃寮の学生さんの想い出が今でも蘇りますよ」と打越出身の人から聞いたことがありますけれど、その人たちにとっては、中野は青春時代の第二の故郷なんだろうなというふうに思ってますんで、「あの中野はどう変わっていったのか」、そんな記録もこれからその人たちにも届けたいという思いもあります。

これから里町連携の中でも、本当にゆかりのある、人々の心の中に残されているっていうことを一つの条件にしながら里町連携を進めていかないと、単に産直物を売ればいいんだっていうところで終わってしまうのではないかな、と。これからは質の高い里町連携の中の一つとして、ゆかりのある地方自治体との新たな関係を作っていうことで、メッセージを発信するということの大切さっていうのを改めて今、感じてます。

Q 北原さんのような子ども時代の経験をした人と今の中野の子どもたちのつながりができてくれば、子どもたちのたくましさが増すでしょうね。

そうだね。自然の中で学んだことってすごく多くあるんですよね。今、蜂に刺される話が出ましたけど、スズメバチだったらやっぱり怖いですからね。もう近くに来た時で攻撃的になってるの、わかりますからね。やっぱり自分を守るために、自分で転がり落ちたりしますよ。ハチを遠ざけるために。そういうのってやっぱり、田舎の子たちって上手だよね。

Q 坂を転がって逃げる。

うん、坂を。でもその坂もススキがあったり柔らかいところに転がり落ちていく。で、だいたい刺されない。上手なんだね。やっぱり自然との関わり方、動植物との関わり方。
だから、山菜で食べられるか食べられないか、キノコで食べられるか食べられないかの識別もしっかりできるわけ。それは母親とか兄貴、兄弟から「危険なものは、もしかしたら食べられるかもしれないというものはとってはいけない、食べてはいけない」ってもうずーっと言われ続けてますよ。確信を持てるものしか食べちゃいけない。「どっちかな?っていうのは全部捨てなさい」と。「迷うのはダメだ」。そういうふうに教え込まれてますからね。だから、よくキノコの食中毒とか、間違えて毒の山菜をとったりっていうことがまずないですよね、田舎の中で。もう蜂追いをやる人ってあまりいなくなったかもしんない。今でも行ってできますよ。蜂追いはできる。

Q 長野県人会の皆さんで蜂追いの話をすると?

盛り上がりますよ。

Q じゃ皆さんやってた?

やってる、やってる。県人会の人は僕らよりももうちょっと上の世代だから。結構体験してんじゃない?ただ研究熱心だったかどうかは別だね。ただ単に蜂追いをやって巣をとるっていう。我々はちょっとまた違ってね。時間を計ったりいろいろ面白さを加えたね。

Q 実験をしてみようとか、一か八か試してみようとか…。

そう。あの頃はもうすごい探求心が旺盛だったね。誰か一人いると、やっぱりさ、その人にくっついてくんだよね。みんな関心はあるけれど、誰かが計画を立ててね、実行するっていうそういう力があればね、みんなついてくる。

Q リードする人というのは年長者なんですか?

いや、僕がほとんどだったかもしれないね。まぁガキ大将だったからね。すごかったですよ。

Q ガキ大将が好奇心が強かったからいいわけですね。

そう、いいわけだね。
 

…Part4に続く

家族と一緒に。中学一年の頃(中央)

 

*ホームページ、小冊子、動画など媒体の特性や条件にあわせて編集し、一部表現を調整している箇所があります。
*オーラルヒストリー(口述歴史)はあくまで「個人の記憶」であり歴史を正確に伝えるものではありません。そのため、基本的に話し手の感じ方・表現・言い回しに基づいて表記しています。また、歴史的な事柄については諸説存在するものもあります。ご了承ください。

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源資NOHC 代表理事

投稿者プロフィール

源 資(みなもとやすし)
昭和42年(1967年)富山市生まれ。県立富山高校、明治大学卒業。ゼネコン退社後、成り行きで映像制作の世界に入りそのまま制作ディレクターとなる。2018年度より中央区における地域オーラルヒストリー記録プロジェクト「佃島・月島百景」に参画。ポケット・クリエイション代表。(一社)NOHC代表理事。中野区野方在住。

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